何故、日本はアメリカに戦争を仕掛けたのか?

 私の生涯のうちで...という言い方は些か大仰ではあるが、どうしても読んでおきたい書籍は多々ある。廣田弘毅という政治家の生涯を通して、「太平洋戦争」とその終結である「極東軍事裁判」を綴っている城山三郎の『落日燃ゆ』もその一冊だ。
 内容については詳しくは分からなかったのだが、過日のテレビ放映で、その一部始終が明らかにされた。
        
 歴史好きの私は、ここ数年来の傾向として、明治維新以降の日本の歩みを中心に追っている。特に、昭和時代の最大の出来事と言える、第2次世界大戦関連の出来事に関心が強く、その時代背景と共に知識を重ねているつもりだ。
 当時の日本では、極東アジアの白人支配からの開放を目的に大東亜戦争と呼んでいたのだが、アメリカの都合で太平洋戦争と呼称が変わってしまったのだ。

 しかし日本人はここを看過してはならない! 私なりの解釈をすると、「第2次世界大戦」とは、盧溝橋事件から端を発した一連の中国との事変、戦争、アメリカとの開戦、そして終戦へと向かうまでの流れ、と捉えている。

 「極東軍事裁判」とは、連合国が自国の戦争参加の正当性を訴えた裁判であったと考えている。日本人は当時の正当な戦争開始の動機を、この裁判に依って歪曲させられたのだ! また連合国側にとって、都合の良い歴史解釈を押し付けら
れたのだ!
 全ての日本人は是非、このような過去の強制された事実を覚えておいてほしい!

 『落日燃ゆ』の廣田弘毅は、極東軍事裁判で裁かれたA級戦犯の中で、唯一、文官として絞首刑になった人物である。
 何故、廣田が連合国側の一方的な裁判で裁かれなければならなかったのか?

 廣田弘毅内閣が発足したのは昭和11年3月である。「二・二六事件」があった直後であったので、廣田も当初は拒み続けていたようだ。
 組閣時には、陸軍から横槍、干渉がかなり入っていたので、とても自前の内閣とは言えなかった。多くの政治家たちは、軍部の暴力に震え上がって、言いなりになっていた雰囲気があったのだが、廣田は在任中、平和外交を粘り強く進め、強大化する軍部に抵抗し続けていた。
 
 しかし軍部は、統帥権を盾に暴走し、広田首相の思惑とは正反対の方向へと日本を引き摺っていったのだ。それなのに廣田は敗戦後にA級戦犯として、極東軍事裁判の被告人となった。
 廣田の判決を巡っては11人の裁判官のうち中、3人が反対したそうだ。オランダのベルト・レーリンク判事は「廣田が戦争に反対したこと、そして彼が平和の維持とその後の平和の回復に最善を尽くしたということは、疑う余地が無い。」と、無罪を主張したのであった!

 この著しく公平さに欠ける裁判に於いて広田弘毅は、戦争回避に努めたとは言え、結果として軍部の圧力に屈する事となり、戦争を阻止できなかった責任を自らに科していた。
 その時の科白は、「私が、戦争に責任がなかったとは言えない。」と語り、一切の弁明をしなかったそうだ。
 また、「自分が喋ることで誰かに迷惑をかけるかもしれない。」とも語り、その姿勢を貫き通した。

 こうして廣田は、裁判の全てを受け入れ、絞首刑囚となっていく...。「自分はもはや死ぬしかない!」と思った廣田の心境は如何ばかりだったか、計り知れない。
 しかし城山の小説では廣田弘毅を美化し過ぎているという批判もあるので、この辺りの事実関係を全て信用して良いのか否かは、分からない!

 廣田弘毅の悲劇的な生涯には深い同情をする。これを噛み締めて我々日本人は、ただ単純に、戦争は愚かなことと思うだけではなく、何故、日本が戦争へ戦争へ進むざるを得なかったか、その動機を理解することが、英霊達への義務である。


 戦争開始直前の時代背景を追っていくと、19世紀から20世紀初頭の白人至上主義は、軍事力を背景に他国の領土や権利を征服する弱肉強食が当たり前の時代であった。
 その当時、独立国と言われていたアジアの国々は、僅かに日本、清、タイしかなかった。しかしその中の清国は、阿片戦争などでの列強との戦いに悉く破れ、領土をヨーロッパの列強国に奪われてしまっていたのである。

 その時の日本は、日清戦争、日露戦争を経て、朝鮮半島と中国大陸の北東部にある満州地区、更には台湾を統治下に置いていた。
 ロシアの領土拡大戦略は執拗で、ここで南下政策を進めるロシアと、そのロシアから自分達の国を守りたかった日本という構図が自ずと生まれてくる。
 近々に、衝突するのは目に見えている戦況だったのだ!
 
 この頃の中国大陸は、蒋介石率いる国民党軍と毛沢東率いる共産党軍とが、血で血を争う内乱状態にあり、中国大陸での日本が支配を持つことを懸念していたロシアは、国民党や共産党を巧みに操り、様々な謀略を日本に仕掛けてきたのであった。
 一方アメリカも、アジアにおける主導権を確立しつつある日本に脅威を感じており、日本を仮想敵国と見なし、様々な謀略を練っていた。

 自国に資源を持たない工業立国・日本を封じ込める目的で、ABCD包囲網を結託し、石油やゴム、鉄鉱の輸出を禁止し、あらゆる資源の貿易を取り止める経済封鎖を行なったのだ。
 この政策で、あっという間に窮地に追い込まれた日本であったのだが、それでも何とか戦争だけは避けたいと、外交努力でアメリカとの関係を修善しようとしていた。
 だが、当時のコーデル・ハル国務長官から、通称「ハル・ノート」と呼ばれる最後通牒を突き付けられてしまったのである。

 その内容は、「満州や中国大陸における一切の権利を放棄し、軍隊を引き上げろ!」という、おおよそ対等外交と言えるものではなかったのだ。
 日本は、亡国の道を歩むわけにはいかなかった! 結局は、現状打破するのは戦争に突入する選択しかなかったのである!

 しかし、当時の日本の情報を傍聴して全てを把握していたアメリカは、ルーズベルト大統領の謀略の下、戦争参加を正当化する為に、ハワイに全ての軍艦を置き、わざと日本軍に攻撃を仕掛けるよう、囮に使ったのである。
 日本軍の計算では、真珠湾沖の軍艦を全て沈める事に成功したら、アメリカは約8ヶ月は、力を取り戻す事は出来ないだろうと予測していたのだが、アメリカは既に戦闘態勢を築き上げていたのである...。

 日本は好んで戦争を仕掛けたのではない! 日本はアメリカを中心とした白人国家の思惑に依って、真珠湾攻撃をせざるを得ない状況に追い込まれたのである。
2009年03月18日 posted by キッズ・アー・オールライト at 10:15 | 宮城 晴れ | Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史・軍事

正しい歴史認識を持つ大切さ 祖国愛と過去の日本人の行為に誇りを

 昨日、防衛省は、歴史認識に関し政府見解に反する論文を公表した田母神航空幕僚長を事実上、解任した。正確な身分は、論文を発表した時点で、航空幕僚長からから航空幕僚監部付に更迭されていたのだが...。
 田母神俊雄氏は、今回の論文発表からの更迭劇は覚悟していたと思う。確信犯の匂いがする。それは、防衛省が当初、本人から辞職の意思確認や、論文について懲戒処分の対象になるかどうかを調べる方針だったにも拘らず、田母神氏が調査に応じなかったことからも窺える。

 良い機会を与えてくれたと思う。田母神氏はこの件について、国会の参考人招致にも応じるようなので、特に若い世代が、戦前戦後の歴史や東京裁判、中国・韓国・北朝鮮との歴史認識の相違等に興味を持って、正しい“過去の真実”を追究する姿勢が具われば良いと思っている。

 田母神氏は解任直後の記者会見で、「国家・国民のため信念にやったことで断腸の思い。日本は決して侵略国家ではない」と改めて持論を述べた。立派である。
 更には、「政府見解に対し、一言も反論出来ないようでは北朝鮮と同じ。政府見解は検証されるべきだ」と語っていた。


 田母神俊雄氏の論文は、今ならネットからダウンロード出来るので、是非、読んで欲しい!
        ⇒ 『日本は侵略国家であったのか?』

 問題になった過去の戦争めぐる田母神氏の論文要旨は以下の通り。

 1)アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵
   略とは言わない。
   二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと
   言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られ
   ていない。

    我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。

 2)もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はど
   こかと問いたい。よその国がやったから日本もやってもいいということにはならないが、日本だけが
   侵略国家だといわれる筋合いもない。

    当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国と
   の比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。

 3)戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言
   われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から
   解放され、また生活水準も格段に向上したのである。

 4)日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、ついに日米戦争に突入し300万人もの犠牲者を出し
   て敗戦を迎えることになった。日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。
    しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠で
   あったことが判明している。実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。

 5)大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。人権
   平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。
    それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜
   戦争を戦わなければ、現在のような人権平等の世界が来るのがあと100年、200年遅れていたかも
   しれない。
    そういう意味で私たちは日本の国のために戦った先人、そして国のために尊い命をささげた英霊に
   対し感謝しなければならない。
    そのお陰で今日私たちは平和で豊かな生活を営むことが出来るのだ。

    多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価している。我が国が侵略国家だったなどというのは
   将に濡れ衣だ。

 6)東京裁判はあの戦争の責任を、総て日本に押しつけようとしたものである。そしてそのマインドコントロ
   ールは戦後63年を経ても日本人を惑わせている。
    日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する。だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにして
   おこうというものである。

 7)諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字がらめで身動き出来ないようになっている。このマインドコントロー
   ルから解放されない限り我が国が自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。

          
 戦後の日教組教育の影響で、太平洋戦争(この呼称もおかしいのであるが...。)での日本の侵略がアジア諸国に耐えがたい苦しみを与えたと思っている人が多い。
 しかし我々は、台湾や東南アジアの国々が、大東亜戦争を肯定的に評価していることをもっと認識しなければならない。

 歴史観は、戦勝国、被征服国の立場の違いで解釈が変わってくる。必要なことは解釈ではなく、日本人が本当に過去に、このような“悪事”をしたのか否かの立証作業である。
 更には、日本人がGHQによる洗脳史観に覆われて、日本人に都合悪く解釈された世界観を押し付けられていると気づくことなのだ!

 例えば、日本の真珠湾攻撃を侵略戦争の開始であったと言うならば、ロンドン軍縮会議やブロック経済、ABCD包囲網などの欧米列強に依る日本への圧力を、どう説明するのか?
 日本があの状況下で戦わなければ、日本人だけではなく、他のアジア人種も軒並み白人の奴隷になっていたと思う。
 その時に、突きつけられたハルノートの内容を見れば、それが日本に対する宣戦布告だと解釈するのが自然である。
 それでも日本は、最後の最後まで何とか開戦を回避しようと努めていたのである。


 田母神氏が作成した論文は、“真実の訴え”である。また別の機会に論じる機会があると思うが、戦争を経験していない日本人の多くは、「東京裁判によるマインドコントロール」に侵されているのである。
 特に、政界の中枢部にいる政治家やマスコミ関係者に沢山いるので、始末が悪い。我々は彼らから、嘘を真実と思い込まされているのだ! 
 逆に、過去の真実について何かを語れば、中国・韓国からの恩恵を受けている連中から、批判されるという構図が戦後ず〜っと続いているのである。

 政治家、閣僚の「過去の歴史認識」に関する発言で、これまでに相当数の人物が更迭に追い込まれてきた。この歴史認識を巡って繰り返される更迭劇は、日本が「過去の歴史の呪縛」から解き放たれない証明なのである。

 幾つか紹介すると、昭和61年に藤尾正行文相が「日韓併合は韓国側にもいくらかの責任がある」と発言して更迭。63年には奥野誠亮国土庁長官が「第2次大戦は日本の安全のための戦いであり、侵略ではなかった」と発言し、辞任した。
 政権交代が実現した翌6年正月に、永野茂門法相が「南京大虐殺はでっち上げだと思う」と発言。その後、自民とが政権奪回した時にも、桜井新環境庁長官が「日本は侵略戦争をしようと思って戦ったのではない」と、発言して其々辞任した。
 更には、7年には江藤隆美総務庁長官がオフレコ懇談で「植民地時代には日本が韓国にいいこともした」と発言したことが、韓国の東亜日報に報道され、辞任に追い込まれた...。

 何故、中国・韓国の「言葉狩り」の圧力に屈して、更迭劇が続くのか? 大体、中国・韓国などは自国の歴史を歪曲して、都合よく解釈して、子供達の世代に教育しているのではないか?
 それに、「過去の歴史」の判断は、事実の検証の仕方や立場などによって異なるのだ。良い悪いの問題ではない!

 確かに田母神氏の論文の内容は政府の公式見解と異なるが、政府の公式見解が、綿密な検証や議論に依って、纏められた崇高なものとは言い難い!!
 平成6年、自民党が何が何でも政権を奪回したいがために、社会党と連立を組むために、村山党首を首相にしなければならない状況の中で、暫らくは社会党の思想を黙認せざるを得なかった。
 その中で出たあまりにも酷い「村山談話」であったが、政権安泰の目的の下、政府見解にするしか道が無かったのである。

 既に終戦から63年経っており、我々の多くは戦争を知らない。その種の情報はマスコミから受けることが多いのだが、そろそろ我々は、戦争を経験した方々の意見をもっと敬謙に耳を傾けて、“過去の真実の歴史”を伝承して、自虐史観から脱していかなければならない。
 アジア諸外国の多くの戦争経験者で、日本軍に接したことのある者たちは、日本軍のモラルの高さを知っているのである。
 それに対して、何らかの意図を持って、「嘘の残虐行為」を吹聴している輩は、日本軍のとった行動を実際には見ていないだ!

 改めて我々は、自由で豊かな生活を享受出来ている理由を考えなければならない。親の世代は苦労して、祖父母、曽祖父母の世代は、祖国防衛のために戦ってきたからなのである!
 先の大戦に於いて、命を賭けて戦ってくれた方々のことを決して忘れてはならない...。
 そう思うのであれば、他国が作った“自虐史観”に固執するのは、愚かな行為なのだ。

 今にして思えば、安倍元総理が唱えていた「戦後レジームからの脱却」という言葉は、自虐史観の払拭であったのだろう。
2008年11月04日 posted by キッズ・アー・オールライト at 13:30 | 宮城 晴れ | Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史・軍事